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1993 11TH PMA McLAREN MP4/8 MI.ANDRETTI
第7代F1親子ドライバー マイケル・アンドレッティ 父は1978年ワールドチャンピオン マリオ・アンドレッティ 自身は199年アメリカCARTチャンピオン マイケル・アンドレッティ 1993年マクラーレンよりデビュー チームメイトはアイルトン・セナ 開幕戦スタートでエンジンストール後 ワーウィックに追突して4周リタイア R2-0周 R3-0周リタイアなど4戦連続リタイア ようやくR5スペインGP 初入賞決勝5位 R13イタリアGP 初表彰台3位も このGP限りで双方合意でチーム離脱 F1では僅か13戦 入賞3回の成績であった 父マリオ/息子マイケル両方のドライバーとも 同じGPに出場したドライバーは ①A.デ・チェザリス ②A.プロスト ③D.ワーウィック ④M.アルボレート ⑤R.パトレーゼ の合計5人であった モデルはミニチャンプス 1993年に初めて発売となった McLAREN Collection シリーズのNo.2 Marlboroをイメージした オリジナルの台紙で1993年の No.1 A.セナ No.3 M.ハッキネン 3台のみがこの台紙で発売された #CAREER-ACHIEVEMENTS 🏁マイケル・アンドレッティ(アメリカ) 【決勝出走数】13回 (入賞3回-表彰台1回) 【予選最高位】5位 1993年 McLAREN R02 ブラジル 【決勝最高位】3位 1993年 McLAREN R13 イタリア 【年間最上位】⓫位 1993年 McLAREN 11ポイント
250424 MI.ANDRETTI 1993 7FW12C
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2014【WORLD CHAMPION】SPARK MERCEDES F1 W05 L.HAMILTON〖🏆11〗
🔲🔲🔲2014🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 MERCEDES F1 W05 ⬜⬜ L.HAMILTON⬜⬜ 🔲🔲🔲全19戦🔲🔲🔲 【出走】19回【PP】07回 【優勝】11回【FL】03回 メルセデス移籍後初 自身は2008年以来となる 通算2度目のワールドチャンピオン 2014年導入された固定カーナンバーは カート時代に使用の【44】を選択 以降ワールドチャンピオン獲得後も 【1】を付けずに【44】を継続使用 メルセデスとしては 1955年のファン・ヌエル・ファンジオ以来 59年ぶりとなるドライバーズタイトル コンストラクターズタイトルは 1958年以降制定されているため メルセデスは初のタイトル獲得となった
250419 L.HAMILTON 2014 3回FW12C
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1977 15TH PMA BRABHAM ALFA ROMEO BT45B C.PACE
南アフリカGP後の飛行機事故死 C.パーチェ BRABHAM ALFA ROMEO BT45B 1977年カルロス・パーチェはブラバム残留 チームメイトはペンスキーより ジョン・ワトソン(イギリス)が移籍 前年度信頼性不足であった アルファロメオエンジンが改善された事もあり パーチェは開幕戦 予選6位→決勝2位表彰台 結果的にパーチェキャリア最後の6回目表彰台 R3南アフリカGP トム・プライス(シャドウ)がレース中に事故死 そのわずか13日後 パーチェ地元ブラジルの サンパウロ近郊で民間の軽飛行機事故で 残念ながら帰らぬ人となった 享年32歳 パーチェが唯一のグランプリ勝利を記録した インテルラゴス・サーキットは 彼の功績をたたえて アウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェと 改名され 現在もブラジルGPの開催地となっている モデルはミニチャンプス GP表記は無いがBT45Bの車体名称より 彼の最後のGPとなったR3南アフリカGP仕様 予選は生涯6度目のフロントロウ(2位) 決勝はトラブルもあり13位 パーチェ亡き後はH.J.スタックがドライブ #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇧🇷カルロス・パーチェ (ブラジル) 【決勝出走数】72回 (入賞16回-表彰台6回) 【予選最高位】🚩PP 1975年 BRABHAM R03 南アフリカ 【決勝最高位】🏆優勝 1975年 BRABHAM R02 ブラジル 【FastestLap】🏁FL(5回) 1973年 SURTEES R11 ドイツ 1973年 SURTEES R12 オーストリア 1974年 BRABHAM R13 イタリア 1974年 BRABHAM R15 アメリカ 1975年 BRABHAM R03 南アフリカ 【年間最上位】❻位 1975年 BRABHAM 24ポイント
250417 C.PACE 1977 648FW12C
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2023 10TH BBURAGO ASTON MARTIN AMR23 L.STROLL
キャリアベストもアロンソには惨敗 L・ストロール ASTON MARTIN AMR23 2023年ランス・ストロールは F1キャリア7年目 アストンマーティン3年目 引退したセバスチャン・ベッテルに代わり フェルナンド・アロンソがチームメイト 開幕前TESTより好調のアストンマーティンは アロンソがシーズン8度の表彰台も ストロースは決勝4位が最高で表彰台無し 22戦中12回の入賞で74ポイント 年間ランキング10位は これまでのキャリアベスト しかしアロンは3倍弱の206ポイント ランキング4位と予選・決勝とも 大きく離される結果となった この年アストンマーティンは 2026年から新レギュレーションの パワーユニットをHONDAを使用すると発表 おそらく2026年シーズンも残留する見込みの ストロールにとってはメルセデス以外の 初のパワーユニットがHONDAとなる見込み モデルはBBURAGO GP表記の無いRACE CAR 仕様 2023年シーズンはBBURAGOラインナップに アストンマーティン加わった 2021年より同チームのタイトルスポンサーの 一つであったアメリカの多国籍IT企業 Cognizant(コグニザント)は この年をもってタイトルスポンサーを終了した
250415 L.STROLL 2023 18FW12C
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1977 (34TH) SPARK MARCH 761B B.HENTON
ロスマンズカラーの始まり ブライアン・ヘイトン MARCH 761B 1975年にロータスで3戦のみ スポット参戦したブライアン・ヘイトン 1977年R4アメリカWEST GPに イアン・シェクターの代役としてマーチで出場 チームメイトはA.D.リベイロ 予選18位→決勝10位完走は いずれも リベイロを上回る成績であった その後プライベーター マーチで3戦 マイナーチームボロで2戦出場も 予選落ち4回 決勝失格1回と結果は残せず ヘイトンはこの後ヨーロッパF2に ステップダウンするも 1980年に3勝をあげチャンピオン獲得 1981年トールマン 1982年アロウズ/ティレルの F1レギュラートを再び獲得する モデルはSPARK R4アメリカWEST GP仕様 イアン・シェクターのスポンサー タバコブランド〖ROTHMANS〗仕様 代役のヘイトンがそのままマシンを引継いだ形 ロスマンズは様々なモータースポーツの スポンサーを活動を実施していたが その活動の始まりは1977年の F1 マーチとの関りだと言われている
250412 B.HENTON 1977 10FW12C
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2001 11TH PMA BENETTON RENAULT SPORT B201 G.FISICHELLA (GP USA)
アメリカ同時多発テロ 追悼 フィジケラ BENETTON RENAULT B201 2001年9月11日に起こった アメリカ同時多発テロ事件発生から 3週間足らずでの開催となった 2001年R16アメリカGP インディアナポリス 多くのチームとドライバーが追悼の意を込め 車体やヘルメットに特別のカラーリングを施し ベネトンはタバコブランド〖MILD SEVEN〗を外し コックピット前の両サイドに星条旗を掲げた ミニチャンプスは ベネトンの2台とミナルディの2台を 追悼モデルとして 星条旗の特別スリーブを付けて発売 アメリカGPのリザルトは フィジケラ予選12位→決勝8位完走 同グランプリはジャン・アレジの 200戦目記念GPでもあり こちらもエアボックスに星条旗を付け サイドポンツーンのスポンサーロゴ タバコブランド〖BENSON & HEDGES〗に変えて 〖Bitten Heroes〗に変更したモデルも発売した https://muuseo.com/FW12C/items/2447?theme_id=34513
250411 G.FISICHELLA 2001 7FW12C
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1977 10TH SPARK LIGIER JS7 J.LAFFITE
リジェ ジャック・ラフィー 初優勝 LIGIER JS7 1977年リジェは参戦2年目 前年同様ドライバーはラフィー 1人体制 前年初年度ながら表彰台3回の勢いは無く 前半7戦まではR5スペインGP予選2位以外は 目立った成績は上げられず 決勝は入賞無し R8スウェーデンGP ラフィー 予選8番手 決勝は荒れたレースとなり レース終盤2位まで順位を上げる ラスト2周でトップ走行の マリオ・アンドレッテイ(ロータス)が メーターのトラブルで順位を落とし ラフィーがリーダーラップ2周で勝利 リジェ・ラフィーと共に初勝利 ラフィーの通算勝利は6勝 リジェの通算勝利は9勝 R13オランダGP予選2位→決勝2位 R17日本GP(富士SW)でも 予選5位から決勝5位に入賞している モデルはSPARK R8スウェーデンGP仕様 予選8位→決勝WIN タバコブランド GITANES仕様 JS7はウイングやノーズ形状が フェラーリ 312T似ており ブルー フェラーリとも呼ばれたいた
250409 J.LAFFITE 1977 1回FW12C
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2004【WORLD CHAMPION】HOT WHEELS FERRARI F2004 M.SCHUMACHER 〖🏆13〗
🔲🔲🔲2004🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI F2004 🟥⬜M.SCHUMACHER⬜🟥 🔲🔲🔲全18戦🔲🔲🔲 【出走】18回【PP】 8回 【優勝】13回【FL】10回 ミハエル・シューマッハ7度目タイトル 18戦13勝の圧巻のシーズン 表彰台15回 当時の年間最多勝記録更新 13勝目はR17日本GP鈴鹿 ポールtoウィン FLはチームメイトのバリチェロ チームでグランドスラム 前人未到の鈴鹿通算6勝目 2024年終了時点で フェラーリの日本GP鈴鹿での最後の勝利
250405 M.SCHUMACHER 2004 10回FW12C
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1988 (32ND) SPARK EUROBRUN ER188 O.LARRAURI
33歳ルーキー デビュー オスカー・ララウリ EUROBRUN ER188 オスカー・ララウリ(アルゼンチン) 1982年ヨーロッパF3チャンピオン(7勝) 1986年ル・マン24H ポルシェ962 2位 1988年ララウリ所属のブルン・レーシングが ユーロ・レーシングとユーロブルンを設立 F1参戦のレギュラードライバーとして起用された チームメイトはステファノ・モデナ 予選最高 R3モナコGP 18位 決勝最高 R9ドイツGP 13位 資金難もあり16戦中半分の8戦で予選落ち R15日本GP鈴鹿 日本のアパレルブランド〖M505〗などの スポットスポンサーが付きマシンが ホワイト/イエローのバイカラーになったが チームメイトのモデナ共々予選落ち 鈴鹿の決勝では見ることができなかった モデルはスパーク R16オーストラリアGP仕様 予選25位→決勝リタイア タバコブランドMarlboroデカール加工 ホワイト/イエローのカラーは継続され 2台とも決勝レースで走行も ララウリは16周 モデナは63/82周で レースを終えている
250404 O.LARRAURI 1988 32FW12C
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2014 17TH SPARK MARUSSIA FERRARI MR03 J.BIANCHI
鈴鹿での悲劇 永久欠番〖17〗 ジュール・ビアンキ MARUSSIA MR03 2014年 ジュール・ビアンキはマルシャ残留 チームメイトは前年同様マックス・チルトン R6モナコGP ギアボックス交換もあり21番手スタート 他車にアクシデント/トラブルが多数発生 ビアンキの粘りの走りもあり8位フィニッシュ レース後5秒のペナルティがあり 順位落とすも自身初の9位入賞を果たす マルシャの前身2010年から参戦バージンを含め 翌2015年マノー・マルシャとして参戦する 同チームのF1史上唯一のポイントであった R15日本GP鈴鹿 決勝ウエットコンディションでコースアウトした エイドリアン・スーティル(ザウバー)車を 撤去するために出ていたクレーン車に ビアンキのマシンが衝突 頭部に重傷を負い意識が戻らないまま 9カ月にわたって治療を受けたが 翌2015年7月17日にこの世を去った 享年25歳 F1走行セッション中のドライバーの死亡事故は 1994年R3サンマリノGP ローランド・ラッツェンバーガー アイルトン・セナ以来 21年ぶりのことであった ジュール・ビアンキの事故後 バーチャル・セーフティーカー(VSC) システムの導入が開始され また頭部保護デバイスの導入が本格的に議論され 2018年からHalo(ヘイロー)と呼ばれる 頭部保護デバイスが導入されることとなった ビアンキのカーナンバー〖17〗は永久欠番となり 彼の死後初のレースとなった 2015年R10ハンガリーGPでは 各マシンに〖#JB17〗のステッカーが貼られた #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇫🇷ジュール・ビアンキ (フランス) 【決勝出走数】34回 (入賞1回) 【予選最高位】12位 2014年 MARUSSIA R09 イギリス 【決勝最高位】9位 2014年 MARUSSIA R06 モナコ 【年間最上位】⓱位 2014年 MARUSSIA 2ポイント
250402 J.BIANCHI 2014 17FW12C
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1974 (48TH) SPARK SHADOW DN3 P.REVSON
悲しみのテスト中の事故死 ピーター・レブソン SHADOW DN3 1974年レヴソンはエースドライバーとして 地元アメリアのシャドウに移籍 チームメイトはジャン・ピエール・ジャリエ 開幕戦アルゼンチンGP 予選4位 R2ブラジルGP 予選6位と好位置につけるも 決勝はどちらもリタイアに終わる R3南アフリカGPの前の キャラミサーキットのテスト中 フロントサスのトラブルによるクラッシュ マシンは炎上し他のドライバーに救出されるも 残念ながら帰らぬ人となった 享年35歳 弟でレーシングドライバーであった ダグラスも1967年F3レース中に事故死しており 弟と共にニューヨークに埋葬された レブソン死の22年後の1996年 アメリカのモータースポーツ殿堂に選出された F1通算2勝(1973年 R9イギリス/R14カナダ) 〇初めて赤旗中断があったレース 〇初めてセーフティカーが出動したレース と波乱のレースを制したドライバーであった #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇺🇸ピーター・レブソン (アメリカ) 【決勝出走数】29回 (入賞14回-表彰台8回) 【予選最高位】🚩PP 1972年 McLaren R11 カナダ 【決勝最高位】🏆️優勝 1973年 McLaren R09 イギリス 1973年 McLaren R14 カナダ 【年間最上位】❺位(2回) 1972年 McLaren 23ポイント 1973年 McLaren 38ポイント
250329 P.REVSON 16 1/43FW12C
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2022 17TH SPARK ALPHA TAURI AT03 Y.TSUNODA
⬛㊗角田裕毅 RED BULL 昇格㊗🟥 F1 RED BULLは2025年3/27 R3日本GP(4/6決勝・鈴鹿)から 角田裕毅(24)を起用すると正式発表 日本人ドライバー4人目の表彰台とその先へ ⬛〘Ready for the challenge ahead〙🟥 こちらは 角田裕毅 2年目 2022年のマシンALPHA TAURI AT03 チームメイトはピエール・ガスリー 2022年開幕戦で8位入賞 序盤6戦中3戦入賞と上々スタート 前年度の後半戦の勢いを継続 しかし以降は苦戦 12戦連続ノーポイントとなり R19アメリカGPでようやく10位入賞 年間ランキングは17位に終わるも 前年に比べ ガスリー(14位)との差は縮まった シーズン終了後ガスリーが移籍 翌2023年はエースとしてシーズン迎える モデルはSPARK 開幕戦バーレーンGP仕様 予選16位→決勝8位 前年に続き開幕戦2年連続入賞 日本人ドライバーで開幕戦連続入賞は 中嶋悟(ティレル 1990年-91年)以来2人目
250328 Y.TSUNODA 2022 22FW12C
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2023 3RD BBURAGO MERCEDES-AMG F1 W14 E PERFORMANCE L.HAMILTON
2年連続の未勝利 ハミルトン MERCEDES-AMG F1 W14 E PERFORMANCE 2023年 ルイス・ハミルトンは メルセデス11年目 通算17シーズン目 チームメイトは前年同様ジョージ・ラッセル R11ハンガリーGPで2年ぶりの予選PP 決勝全22戦中20戦入賞したものの 最高位は2位-3回で2年連続未勝利に終わる 前年度負けたチームメイトラッセルには 予選は五分も決勝では約60Pの差をつけ 年間ランキング レッドブルの2人に次ぐ3位 メルセデスのコンストラクターは フェラーリとの争いに勝ち年間2位も 12年ぶりにチームとしても未勝利に終わった ハミルトンは翌2024年もメルセデス残留も シーズン開始前に2025年から フェラーリへの移籍hが発表された モデルはBBURAGO GP表記無しのRACE CAR仕様 前マシンW13の特徴 ゼロポッドを 引き続き採用していたが モナコGPで空力パッケージを大幅に変更 ゼロポッドを捨てレッドブル風の サイドポッドを採用した 2506
250327 L.HAMILTON 2023 4回FW12C
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2001 7TH PMA BAR HONDA 03 J.VILLENEUVE
BARチーム初 自身3年ぶりの表彰台 ジャック・ビィルヌーブ BAR HONDA 03 2001年 BAR3年目のジャック 2シーズンぶりF1復帰 新規加入の チームメイトはオリビエ・パニス R5スペインGP 自身3年ぶりとなる表彰台3位 1999年より参戦のBAR初の表彰台 R12ドイツでも再び3位 結果的にジャックキャリア最後 通算24回目の表彰台であった 入賞は4回にとどまり年間12ポイント ニック・ハイドヘルド(ザウバー) ヤルノ・トゥルーリ(ジョーダン)と 同ポイントで並ぶも最高位(3位)の差で 3人の中では最上位のランキングは7位 コンストラクターは同じHONDAの ジョーダンに敗れ6位となった モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR 仕様 ジャックは翌2002年もチーム残留 2002年のBAR 004の量販モデルは各社 発売されておらず空白となっている
250325 J.VILLENEUVE 2001 10FW12C
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1974 4TH HOT WHEELS FERRARI 312 B3 N.LAUDA
跳ね馬の新旗手 ニキ・ラウダ 自身初勝利 FERRARI 312 B3 1974年ラウダはBRMからフェラーリに移籍 チームメイトはクレイ・レガッツォーニ 開幕戦でいきなりの予選PP獲得 決勝2位で自身初の表彰台 ラウダの生涯PP-24回 表彰台-54回 R4スペインGP 予選PPからポールトゥウィン 自身初優勝 ラウダの生涯勝利数-25回 予選では15戦中PP-9回 R8オランダGPで2勝目など 途中ポイントランキングトップに立つも 終盤5戦連続でシーズンランキングは4位 この年にテスト走行の重要性を感じ 徹底した走り込みで翌1975年に備えた モデルはマテル エリートシリーズ R4スペインGP 予選PP→FL→優勝 ラウダの初優勝はフェラーリ通算50勝目 パッケージには表記が無いが モデルの裏側はHOT WHEELSブランド表記あり
250324 N.LAUDA 1974 3回FW12C
