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1977 (34TH) SPARK MARCH 761B B.HENTON
ロスマンズカラーの始まり ブライアン・ヘイトン MARCH 761B 1975年にロータスで3戦のみ スポット参戦したブライアン・ヘイトン 1977年R4アメリカWEST GPに イアン・シェクターの代役としてマーチで出場 チームメイトはA.D.リベイロ 予選18位→決勝10位完走は いずれも リベイロを上回る成績であった その後プライベーター マーチで3戦 マイナーチームボロで2戦出場も 予選落ち4回 決勝失格1回と結果は残せず ヘイトンはこの後ヨーロッパF2に ステップダウンするも 1980年に3勝をあげチャンピオン獲得 1981年トールマン 1982年アロウズ/ティレルの F1レギュラートを再び獲得する モデルはSPARK R4アメリカWEST GP仕様 イアン・シェクターのスポンサー タバコブランド〖ROTHMANS〗仕様 代役のヘイトンがそのままマシンを引継いだ形 ロスマンズは様々なモータースポーツの スポンサーを活動を実施していたが その活動の始まりは1977年の F1 マーチとの関りだと言われている
250412 B.HENTON 1977 10FW12C
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2001 7TH PMA BAR HONDA 03 J.VILLENEUVE
BARチーム初 自身3年ぶりの表彰台 ジャック・ビィルヌーブ BAR HONDA 03 2001年 BAR3年目のジャック 2シーズンぶりF1復帰 新規加入の チームメイトはオリビエ・パニス R5スペインGP 自身3年ぶりとなる表彰台3位 1999年より参戦のBAR初の表彰台 R12ドイツでも再び3位 結果的にジャックキャリア最後 通算24回目の表彰台であった 入賞は4回にとどまり年間12ポイント ニック・ハイドヘルド(ザウバー) ヤルノ・トゥルーリ(ジョーダン)と 同ポイントで並ぶも最高位(3位)の差で 3人の中では最上位のランキングは7位 コンストラクターは同じHONDAの ジョーダンに敗れ6位となった モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR 仕様 ジャックは翌2002年もチーム残留 2002年のBAR 004の量販モデルは各社 発売されておらず空白となっている
250325 J.VILLENEUVE 2001 10FW12C
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1977 (33RD) SPARK MARCH 761B I.SCHECKTER
シェクター兄 イアン・シェクター F1ラストで初レギュラー MARCH 761B 1977年イアン・シェクターは マーチのレギュラーシート獲得 チームメイトはアレックス・リベイロ 前年度ロニー・ピーターソンで優勝をあげた MARCH 761の改良版761Bで参戦も チームがF2に力をいれた事もあり 開発が進まず予選・決勝とも苦戦 予選最高は17位が4回 決勝最高10位(ニューマシンMARCH711で記録) イアン・シェクターははこの年でF1終了 生涯ポイントを獲得することはできなかった チームマーチもこの年で一時活動中止 モデルはSPARK RACE LAND特注 R11ドイツGP仕様 予選18位→決勝リタイア MARCHはタバコブランド〖ROTHMANS〗が メインスポンサーであったが 当該ドイツGPはタバコ広告禁止GPでもあり 南アフリカのビールブランド 〖SPORTSMAN LAGER〗がメインスポンサーで カラーも大きく変更された #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇿🇦イアン・シェクター(南アフリカ) 【決勝出走数】18回 (入賞0回) 【予選最高位】⑯位 1976年 TYRRELL R2 南アフリカ 【決勝最高位】⑩位 1977年 MARCH R13 オランダ
241219 I.SCHECKTER 1977 10FW12C
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1971 (37TH) QUARTZO TYRRELL 001 P.REVSON
ピーター・レブソン 7年ぶりのF1復帰 ティレルオリジナルマシン TYRRELL 001 ピーター・レブソン(アメリカ出身) 叔父はレブロン化粧品創業者 1964年にプライベーターで5戦のみ出場 1971年地元アメリカGPにティレルの 3rdカーで出場 7年ぶりにF1に復帰 ティレルのレギュラードライバーは ジャッキー・スチュワート(イギリス) フランソワ・セーベル(フランス) レブソンは予選21位 決勝はクラッチ故障でわずか1周で レースを終えている 翌1972年は他カテゴリーで所属していた マクラーレンよりフル参戦 当年(1971年)レブソンはインディ500で 予選PP→決勝は惜しくも2位 またCan-Amではチャンピオンを獲得 モデルはQUARTZO 最終戦アメリカGP 予選21位→決勝リタイア サーキットはワトキンズ・グレン レブソンはティレルの初号機となる TYRRELL 001でレースに参戦 このモデルは前年(1970年)の後半に3戦 当年(1971年)に開幕戦でスチュワートが 2位表彰台を獲得したマシンで レブソン含めわずか5戦限りの使用となっている
241120 P.REVSON 1971 10FW12C
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2023 11TH BBURAGO ALPINE A523 P.GASLY
RBグループ離れ アルピーヌ移籍 ピエール・ガスリー ALPINE A523 2023年ガスリーはレッドブルの再昇格が セルジオ・ペレスの契約延長で阻まれた為 レッドブルグループから離脱 アルピーヌに移籍 チームメイトはエスティバン・オコン フランス人ドライバーコンビ 旧ルノー時代含めオールフレンチ体制は 1982年アラン・プロスト/ルネ・アルヌー以来 (フランスチーム(リジェ)としては1994年に オリビエ・パニス/エリック・ベルナールがあり) ガスリーは開幕から入賞はするものの 7位~10位の下位入賞が殆どであったが シーズン終盤までアップデート投入効果もあり R13オランダGPでは自身2年ぶりの3位表彰台 2人のドライバーで表彰台1回づつの合計2回 コンストラクターも前年4位→6位と後退 オールフレンチ体制も結果につながらなかった モデルはBBURAGO GP表記の無いレースカー仕様 ブルー/ピンクの後半戦カラー 2023年~BBURAGOアルピーヌモデルが発売 コスパの観点から来年以降の販売継続 願わくば全チームをBBURAGOで発売切望
241116 P.GASLY 2023 10FW12C
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1976 (35TH) TSM MARCH 761 L.LOMBARDI
女性ドライバー 最後の決勝進出 レッラ・ロンバルディ MARCH 761 前年度女性ドライバーとして 初のポイント(0.5P)を獲得した レッラ・ロンバルディ 1976年もマーチからエントリー 開幕戦ブラジルGP 予選は22台エントリーで22位 決勝は規定周回数ギリギリ(36/40周) ながら14位で完走した この後ロニー・ピーターソンの マーチ復帰に伴いシートを失い シーズン途中 RAMでブラバムのマシンで参戦 2戦予選落ち後R11オーストリアGPで 予選24位→決勝12位完走を果たしている 2024年現在1976年のロンバルディが 女性ドライバーF1決勝進出の 最後のドライバーとなっている モデルはTRUE SCALE MINIATURES MODEL 開幕戦ブラジルGP仕様 予選22位→決勝12位 この年マーチはドライバーごとに スポンサーとカラーが異なり ロンバルディのマシンはイタリアの コーヒーメーカー〖LAVAZZA〗 #1976年 https://muuseo.com/FW12C/items/582?theme_id=32702
240626 L.LOMBARDI 1976 10FW12C
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1968【WORLD CHAMPION】QUARTZO LOTUS 49B G.HILL (U.S.A GP)〖🏆3〗
🔲🔲🔲1968🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 LOTUS 49B 🟧🟧🟧G.HILL🟧🟧🟧 🔲🔲🔲全12戦🔲🔲🔲 【出走】12回【PP】3回 【優勝】 3回【FL】0回 グラハム・ヒル 2度目のチャンピオン モデルQUARTZO R11アメリカGP仕様 予選3位→決勝2位 大型のリアウイング装備 タバコGOLD LEAF仕様 このGP終了時点では 39P グラハム・ヒル(ロータス) 36P J・スチュワート(ティレル・マトラ) 33P D・ハルム(マクラーレン) 三つ巴で最終R12メキシコGPを迎えた #1968年 https://muuseo.com/FW12C/items/1779
240525 G.HILL 1968 10FW12C
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2020 10TH SPARK ALPHA TAURI AT01 P.GASLY
スクーデリア・アルファタウリ初年度 ピエール・ガスリー初優勝 AT01 2006年ミナルディを買収して レッドブルのジュニアチームトロ・ロッソ として参戦してきたが 2020年チーム名を同社ファッションブランド アルファタウリとしてエントリー ピエール・ガスリーはトロ・ロッソ 残留の形でアルファタウリにて参戦 チームメイトはダニエル・クビアト R8チームホームグランプリ イタリアGP ガスリーは予選10位から途中赤旗の混乱から 抜け出し 最後はC・サインツ(マクラーレン) とのバトルを0.4差で制し見事初優勝 HONDAエンジンと組んで節目の50戦目 チームはトロ・ロッソ時代の 2008年同じイタリアGP ベッテル以来の 12年ぶりの優勝 またフランス人ドライバーとしては 1996年 O・パニス(リジェ)以来 24年ぶりの優勝 この時のエンジンは無限HONDA モデルはスパーク ガスリー初優勝のR8イタリアGP仕様 〖P1〗が書かれているピットボード付 スリーブもアルファタウリ仕様
240307 P.GASLY 2020 10FW12C
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2009 11TH PMA PANASONIC TOYOTA RACING TF109 T.GLOCK
the story will be at a later date.
240305 T.GLOCK 2009 1回FW12C
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1970 8TH QUARTZO MARCH 701 C.AMON (GP BELGIUM)
マーチに移籍 1秒差の2位 クリス・エイモン MARCH 701 1970年前年度フェラーリを離脱した クリス・エイモンは新規マーチに移籍 開幕から3戦連続リタイアで迎えた R4ベルギーGP 予選3番手 決勝は1周目にトップに立ち 1度は後退したものの3~4周目に再度浮上 その後はペドロ・ロドリゲス(BRM)に抜かれ トップに食らいつき最終28周目には ファステストラップで追い上げるも 1.1秒差の2位フィニッシュ 勝利には届かずキャリア2度目の2位であった モデルはQUARTZO R4ベルギーGP仕様 予選3位→決勝2位 自身初のファステストラップ記録 このモデルブランドのQUARTZOは ポルトガルのVITESSE(ビテス)社のブランド ビテスが2000年に破綻した為 型はIXOに移転 その後 Sun Star社(アメリカ?)がブランド継承 旧QUARTZOのエイモンのMARCH 701は フランスGP仕様での販売で カーナンバーやSTPのロゴなどが異なる https://muuseo.com/FW12C/items/1508?theme_id=43150
240218 C.AMON 1970 1回FW12C
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1969 14TH SPARK (ANTIQUE AUTOMOBILES RACING) McLAREN M7B V.ELFORD
クイックビック ビック・エルフォード 1台限りのマシン McLAREN M7B ビック・エルフォード イギリス出身 1968年ラリーモンテカルロで優勝 1週間後にデイトナ24時間を制し偉業達成 その時についた愛称が クイック・ビック 同年クーパーよりF1参戦 1969年はプライベーターの ANTIQUE AUTOMOBILESで マクラーレン M7Bのマシンで参戦 M7Bは葉巻型M7Aと異なり燃料タンク内蔵で 車体一体のサイドポッドを 取り付けしたマシンであった シーズン途中マクラーレンからマシンを購入 R5フランス決勝5位 R6イギリス決勝6位 連続入賞でポテンシャルを引き出した R7ドイツ シーズンベスト予選6位 1周目四輪駆動車のロータス63を ドライブするM.アンドレッティが クラッシュして2輪のホイールが脱落 片方のホイールに当たった エルフォードは激しくクラッシュ マシンは真っ逆さまになって木に落下 アンドレッティはエルフォードを 大破したマシンから救出したが エルフォードは腕を3箇所骨折 1台のみ製作のM7Bはそのまま廃車となった エルフォードは2年後の1971年 クラッシュで負傷した同じドイツGPに BRMで出場予選18位→決勝11位完走 これがF1での最後のキャリアとなった モデルはスパーク R5フランスGP仕様 予選10位→決勝5位 M7Bの燃料はコックピットの側面にある 一体型タンクに低く中央に貯蔵され 燃料重量配分を変えることで ハンドリングを改善するという理論で設計 4輪駆動のM9A風のリアカウルを装備 #1969年 #F1
240216 V.ELFORD 1969 10FW12C
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2000 8TH PMA WILLIAMS BMW FW22 J.BUTTON
最年少入賞記録更新 大型新人 ジェンソン・バトン デビュー ジェンソン・バトン イギリス出身 1999年 イギリスF3で3勝をあげランキング3位 同年にプロストグランプリのテストに参加後 ウイリアムズの翌年セカンドドライバーの トライアウトに参加 弱冠20歳でシート獲得 2000年ウイリアムズは13年ぶりに F1復帰のBMWエンジンでの組み合わせ チームメイトはラルフ・シューマッハ R2ブラジルGP 予選9位でラルフ(11位)を上回ると 決勝では5位ラルフに続く6位初入賞 この入賞時のバトンは20歳67日で 1962年 R・ロドリゲス(フェラーリ)の 20歳123日を38年ぶりに塗り替える記録 バトンのキャリア入賞は162回 R13ベルギーGP予選では この年チーム最上位となる3位 年間では4位-1回 5位-4回 6位-1回 6度の入賞でランキング8位 当時は異例の下部フォーミュラ2年経験での センセーショナルなデビューであった モデルはミニチャンプス BMW別注バージョン 通常とは異なる台紙とハイボックス仕様
240203 J.BUTTON 2000 10FW12C
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1975 (25TH) SPARK MARCH 751 H.J.STUCK
ハンス・スタック 2シーズン目 キャリア唯一のノーポイント MARCH 751 前年度F1で2番目親子ドライバ―で デビューしたハンス・ヨハム・スタック 1975年は後半5戦をよりマーチでエントリー この年のマーチ勢の予選トップとなる R11ドイツ7位 R12オーストラリア4位も 決勝では当該レース含む4戦連続リタイア R12ではマーチのブランビラが優勝 最終戦R15アメリカでの8位が この年唯一の完走で1974年~79年まで 参戦するスタックの唯一の無得点の年 モデルはSPARK スタックの地元R11ドイツGP仕様 予選11位→決勝はエンジン壊れリタイア スポンサーのLAVAZZAは 1895年創業のイタリアの有名な エスプレッソマシンメーカー この年のマーチはドライバ―ごとに メインスポンサーが変わり LAVAZZA H・スタック L・ロンバルディ Beta V・ブランビラ Penske Cars M・ダナヒュー それぞれカラーリングも異なる
230919 H.J.STUCK 1975 10FW12C
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1973 7TH SPARK BRABHAM BT42 C.REUTEMANN
カルロス・ロイテマン 初表彰台 奇才ゴードン・マレー作 BRABHAM BT42 1973年前年度初戦PPでデビューの カルロス・ロイテマンはブラバム残留 チームはグラハム・ヒルが抜けて ロイテマンが中心となり エマーソン兄 ウイルソン・フィッテパルディが加入 R4スペインGPよりニューマシンBT42投入 後に5度のチャンピオンマシンをデザインした ゴードン・マレーのデビュー作 R7スウェーデンGPで4位入賞すると R8フランスGPで自身初の3位表彰台 ロイテマンの生涯表彰台は45回(出走145回) R9イギリスGP6位で3戦連続入賞 終盤にも4位・6位と2度目の表彰台3位 年間6度の入賞16ポイントで7位 翌1974年もブラバム残留で初勝利をあげる モデルはSPARK 2度目の3位表彰台となった 最終R15アメリカGP ワトキンズ グレン 予選ではシーズンベストの フロントローを獲得している
230912 C.REUTEMANN 1973 10FW12C
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1972 8TH SPARK SURTEES TS9B M.HAILWOOD
マイク・ヘイルウッド キャリアベストの2位 SURTEES TS9B 1972年ヘイルウッドは ヨーロッパF2に参戦しながら 前年度スポット加入したサ―ティスから参戦 チームメイトはA・アダミッチ T・シェンケン 同じサ―ティスから参戦の ヨーロッパF2では2勝でチャンピオン獲得 R2南アフリカGPからエントリー キャリアベストタイのいきなり予選4位 決勝ではキャリア唯一のFLも記録 その後決勝で4位2回6位1回で迎えた R10イタリアGPでは予選9位から 上位陣の脱落にも助けられて 決勝は自身初の表彰台は生涯唯一となる2位 サードドライバーで加入したが 他の2人を圧倒してエース扱いとなった 年間では13ポイントで8位となり F1での順位 ポイントともベストシーズン モデルはSPARK ヘイルウッド唯一の2位のイタリアGP仕様 このイタリアGPではチームオーナーで 1964年のワールドチャンピオン ジョン・サーティスがスポット参戦 サ―ティスのF1ラストレースでもあった
230907 M.HAILWOOD 1972 10FW12C
