静狩金山 製錬場磨鉱場の一部/北海道山越郡長万部町静狩 PC019-02

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採掘した鉱石は最初クラッシャーと呼ばれる破砕機で砕きますが、製錬のため鉱石を更に細かく砕く工程を磨鉱と云います。静狩金山における磨鉱は2段階の工程からなり、この絵葉書に写っているのは第一次磨鉱に用いられたコニカルボールミルと思われます。コニカルボールミルは円筒型の胴内に鋼球等の粉砕媒体を入れ、胴体を回転させながら鉱石を細かく粉砕する設備で、静狩金山の場合直径90ミリの鋼球13トンを装入したといい、非常に大型の機械です。続く第二次磨鉱工程ではボールグラニュレーターという機械を用い、直径50ミリの鋼球および鋳鉄球12トンが装入され、鉱石を更に細かく磨り潰しました。

静狩金山は、北海道長万部町静狩にかつて存在した金鉱山です。静狩近辺では1890年代に金鉱石が発見されましたが当初は操業に至らず、1918年(大正7年)になって小規模な採掘が開始されました。1923年(大正12年)に川崎造船所が買収、更に1933年(昭和8年)に隣接する来馬(らいば)、小鉾岸(おふき)の両鉱山を所有する住友合資会社により吸収合併され、静狩金山株式会社が設立されました。1934年(昭和9年)には従業員数425名となり、日量350トン処理の全泥式青化製錬所を設け、近接の礼文鉱山も買収しました。この頃年間の産金量も数十キログラム台から500キログラム台に急増し、「金湧く静狩」と称されたといいます。その後1938(昭和13年)には日量1,000トン処理可能な大型青化製錬設備の操業を開始、1942年(昭和17年)には年間産金量792キログラムを記録、翌1943年(昭和18年)には従業員数1,600人に至りました。しかし同年発出された金山整備令によって閉山となり、戦後再稼行が試みられたものの、結局本格再開されることはありませんでした。しかし、最近(2024年)になり外資系企業が新たに試掘権を取得しているようです。

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