荒川鉱山 鉱山病院/秋田県大仙市 PC025-01

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荒川鉱山には、鉱山従業員および鉱山街の住民の治療を目的として鉱山病院が設立されました。

荒川鉱山は熱水性鉱床の鉱山で、主に黄銅鉱を採掘していました。1700年(元禄13年)に発見され、1738年(元文3年)からは秋田藩(久保田藩)の直山(直轄鉱山)として開発されましたが、明治維新後の1876年(明治9年)に盛岡の瀬川安五郎が政府から払い下げを受けて間もなく「嗽沢(うがいさわ)坑」で大鉱脈が発見され、国内でも屈指の銅山になりました。1896年(明治29年)に三菱合資会社が鉱業権を所有した後に製錬所や中央選鉱所、発電所などの設備の近代化が図られ、荒川村役場や郵便局、駐在所、浴場、病院、劇場「共楽館」、大盛小学校などが建設されました。共楽館では、演劇や映画の他、宝塚歌劇団や歌舞伎の公演なども行われたということです。最盛期には人口約4000人、周辺を含めると8000人に達し、県内有数の都市となりましたが、1935年(昭和10年)に資源枯渇により三菱鉱業尾去沢鉱業所荒川支所に縮小され、1940年(昭和15年)に閉山しました。

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