足尾銅山通洞坑口・小滝銀山橋(庚申山沿道)/栃木県日光市 PC008-01

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通洞坑は足尾銅山の主要坑道であった本山坑と小滝坑に繋がる基幹坑道で、1885年(明治18年)に着工、蒸気タービンを動力にした削岩機や、ダイナマイトによる発破など最新技術が使われ、1896年(明治29年)に完成、これにより近代的な銅山開発が飛躍的に進むようになりました。通洞坑は1973年(昭和48年)の閉山まで継続して使用され、現在も足尾銅山観光によりその一部が公開されています。
小滝坑は江戸時代に掘られ放置されていた坑道を1885年(明治18年)に取明けたもので、小滝地区には坑口を中心に銅山の施設と集落が形成されていました。小滝地区を流れる庚申川の上流にかかっていた橋の一つが銀山橋で、この橋を渡った先には1909年(明治42年)に銀山平長屋と呼ばれる140戸の鉱山社宅が建てられ、1939年(昭和14年)まで使用されていました。

絵葉書には旧足尾鉄道通洞駅(現わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線通洞駅)のスタンプが押されています。

足尾銅山は、1610年(慶長15年)に江戸幕府の直轄鉱山として本格的に採掘が始まり、17世紀中頃に最盛期を迎えました。産出された銅は国内で建築資材として利用されるほか、オランダなどへ輸出されました。しかし18世紀以降は産銅量が減少、幕末から明治初期にかけてはほぼ閉山状態となりました。1877年(明治10年)の古河市兵衛が経営に参入、先進的な技術を導入し大規模な銅産出を再開、20世紀初頭には国内銅産出量の約40%を占める日本最大の銅山に成長しました。しかし、乱開発や採鉱、選鉱、製錬の過程で発生する廃棄物(廃水、廃石、からみ)中の有害物質を含む土砂の流出と、製錬排煙(亜硫酸ガス)による環境破壊が深刻化し、足尾鉱毒事件が発生しました。第二次世界大戦中は非常時として乱掘が行われ生産量が低下、戦後徐々に生産を回復させたものの、鉱脈枯渇により1973(昭和48年)に閉山、1988年(昭和63年)には製錬部門も廃止されました。

庚申山(こうしんざん、1,892m)は栃木県西部の足尾町にある成層火山で、日光国立公園に属しています。日光二荒山神社の奥宮が置かれている男体山と同じく勝道上人によって8世紀に開山され、江戸時代から明治にかけては庚申講信者による登山が盛んに行われていました。

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