生野鉱山 本部/兵庫県朝来市 PC006-01
この絵葉書に写っている鉱山本部は、飾磨津(現・姫路港)と生野鉱山を結ぶ銀の馬車道と呼ばれる日本初の高速産業道路の起点で、左下の道沿いに見える2階建ての建物は1875年(明治8年)に混こう所(鉱石の選別場)として竣工、現在も三菱マテリアル(株)生野事業所現綜合事務所として使用されています。
佐渡金山、石見銀山と並んで天領とされ、江戸幕府の財源を支えた生野銀山は幕末の動乱に伴い1866年(慶応2年)に休山となり、1868年(慶応4年)に薩長軍により占拠されたことにより天領としての歴史を終えましたが、明治政府は新政府による貨幣発行の原材料確保のため生野鉱山を直轄化、「お雇い外国人第1号」のフランス人技師ジャン・フランソワ・コアニエを鉱山師兼鉱学教師として雇い、1872年~1876年(明治5年~同9年)にかけて製鉱所(精錬所)を建設、生野に日本の近代化鉱業の模範鉱山の確立を目指しました。生野鉱山は1899年(明治22年)に佐渡鉱山と共に皇室財産に移され、1906年(明治29年)に三菱合資会社に払い下げられました。その後も長らく操業されましたが、1972年(昭和47年)に閉山となりました。
兵庫県朝来市生野町
生野鉱山
石泉亭