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孔雀石 (malachite) 仏性寺鉱山 #0592A
こちらも仏性寺鉱山産の二次銅鉱物の標本で、孔雀石が主体になっています。(1枚目~3枚目は背景をソフトウエア処理しています。) 仏性寺鉱山の銅鉱床は輝水鉛鉱鉱床の上方150m付近の粘板岩と蛇紋岩との接触部に存在しており、鉱脈付近では蛇紋岩が変質して粘土鉱物の滑石や絹雲母などを生じ、粘板岩は珪化作用が進んでいます。銅鉱脈は酸化が進んでおり、輝銅鉱、赤銅鉱、孔雀石、珪孔雀石など二次的生成にかかる鉱物が大半を占めています。
炭酸塩鉱物 京都府福知山市大江町仏性寺 ミニチュアサイズ石泉亭
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孔雀石 (malachite) 大張鉱山 #0161
鉱脈鉱床上部の酸化帯から産出した二次鉱物で、緑色のぶどう状の皮殻状集合体をなしています。 大張(おおばり)鉱山は金・銅・ビスマスの鉱染状の鉱脈鉱床で、1935年(昭和10年)に露頭が発見され、1936年(昭和11年)に井上浜五郎らにより試掘が行われ、1938年(昭和13年)には田中鉱業の経営に移りました。更に1943年(昭和18年)に北辰鉱業の経営となり、戦時中は一時銅山として稼行、戦後は金鉱の探鉱が続けられましたが、1971年(昭和46年)に休山しました。
炭酸塩鉱物 山形県鶴岡市大針 ミニチュアサイズ石泉亭
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孔雀石 (malachite) 尾去沢鉱山 #0261
黄銅鉱の表面に二次鉱物として生成した孔雀石です。 尾去沢鉱山の発見は伝承によれば708年(和銅元年)に遡り、ここで採られた金が奈良の大仏や平泉中尊寺で用いられたとも言われています。本格的に開発されたのは1598年(慶長3年)に南部藩の北十左衛門が白根金山を発見してからで、金が枯渇してきた1695年(元禄8年)には銅鉱が発見され、1765年(明和2年)に南部藩の直営となり、別子銅山、阿仁銅山と並ぶ日本の主力銅山の一つとなりました。典型的な中温熱水鉱床で、1889年(明治22年)以降三菱財閥が開発を行うようになってからは近代化が推し進められ、深さ30メートルごとに水平坑道が展開され、坑道の総延長は800キロメートルに達し、銅のほか、金、銀、鉛、亜鉛が採掘され、特に産銅量は足尾、別子、小坂、日立に次ぐ日本第5位を誇りました。1978年(昭和53年)に閉山するまでの産出量は、銅30万トン、金4.4トン、銀155トンと推定されています。
炭酸塩鉱物 秋田県鹿角市尾去沢 スモールキャビネットサイズ石泉亭
