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1954(昭和29)年 9月29日 岡山 天満屋 葦川会館 提琴独奏会 プログラム
1954(昭和29)年 9月29日 岡山 天満屋 葦川会館(いせんかいかん)での 提琴独奏会プログラムです。 会場となった葦川会館はこの前年1953(昭和28)年、創業125周年をを迎えた岡山 天満屋(百貨店)の6階(屋上部分)に、最新の照明と優れた音響設備を備えた文化ホールとしてオープンしました。因みに柿落としはレオニード・クロイツァーのピアノ独奏会だったとの事です。 ▲『天満屋』の文化ホール「葦川会館」の緞帳。デザインは仁科会会員吉原治良氏。天満屋発行『文化催事三十年』のあとがきに「戦後、盛んになった演劇活動を文科省も県教育委員会も助長したが、岡山は地方都市の中でもチャンピオンの位置にあった」とあり、演劇活動が盛んな岡山で当ホールが重要な存在だったとわかる(画像提供/『天満屋百五十年史』) 当時、市内の公演会場は、旧岡山藩主・池田家の寄付により建設された『岡山市公会堂』以外ありませんでした。戦火で傷んだ公会堂はトタン屋根だったこともあり、新ホールは大歓迎されました。 地元の発表の場としてはもちろん、天満屋主催の「芸能友の会」や県主催の演劇教室などで利用。ジャズの夕べ、落語名人会、「文化座」や「宝塚歌劇団」など著名な劇団の公演、人形浄瑠璃や狂言などの伝統芸能など、開催内容は多彩でした。 『webタウン情報 おかやま』㌻より転載させて戴きました。 当夜の演奏曲は・・・ 1,ヴァイオリン奏鳴曲 第四番 ニ長調:ヘンデル 2,ヴァイオリン協奏曲 第一番 ニ長調 19番:プロコフィエフ 3,ヴァイオリンとピアノのための奏鳴曲:ドビュッシー 4,・揺籃歌:フォーレ ・マラゲニア:アルベニス ・練習曲:スクリアビンーシゲッティ ・序奏部と狂想的回施曲:サン・サーンス ピアノ伴奏は松隈陽子さん。 興味深い事に、Xやnoteで恐らく松隈さんの幼少の頃と思しき日記が『ヨーコの日記』として公開されており、カジュアルに綴られておりますがこれは当時の歴史的資料(日本人家族の海外生活記録)としましても大変貴重だと感じます。お身内の方が転載されているのでしょうか? 松隈さんは第8回 日本音楽コンクール(1939年)ピアノ部門で見事第一位を獲得されていらっしゃいます。根自子さんとは主にこの'54年から'55年にかけて日本各地を周られました。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #岡山天満屋 #葦川会館 #松隈陽子
プログラム 日本:古書店さん 1954年nine_o_nine
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1981(昭和56)年 6月30日 日本橋 三越劇場 第371回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
1981(昭和56)年 6月30日 日本橋 三越劇場 第371回三越名人会での前回より1年振りとなるご出演・演奏 *ツィゴイネルワイゼン ほか (残念ながら演奏曲の詳細記載ありませんでした) ピアノ伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
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1980(昭和55)年 5月31日 日本橋 三越劇場 第359回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
1980(昭和55)年 5月31日 第359回三越名人会での前回より半年振りとなるご出演・演奏 *前奏曲とアレグロ *月光 *マラゲニア *タイスの瞑想曲 *カプリス第24 ピアノ伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
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1979(昭和54)年 1月28日 日本橋 三越劇場 第346回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
1976(昭和51)年 9月25日 第346回三越名人会での3年振りとなるご出演・演奏 *G線上のアリア *愛の喜び *愛の悲しみ *歌の翼に *スペイン舞曲 ピアノ伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
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1983(昭和58)年 5月28日 日本橋 三越劇場 第390回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
これは知らなかった! 何と!どこにも記述のなかったご出演が、この「三越名人会」に更にもう幾つか(有名な最初の第320回から実に都合5回にも及ぶ!!)あって驚きました。この記念本は第400回の時(翌、昭和58年5月)のものだから、根自子さんのラスト公演と言われる同年10月の町田迄もしかしたらもう一回くらいあった可能性も拭えませんが、その現状知り得る最後の名人会ご出演となりますのが此方・・・ 1983(昭和58)年 5月28日 第390回 三越名人会 *G線上のアリア *愛の哀しみ *愛の喜び *カプリス13 *タイスの瞑想曲 *サパテアーデ 小品で構成されたなんとも魅惑的なプログラム!個人的には大好きなクライスラー「愛の喜び」…あのなんともウキウキするかのフレーズ、根自子さんのご表現はどんなだったのだろう?そしてパガニーニ「カプリース」〜「タイスの瞑想曲」〜「サパテアーデ」。。。冒頭から流れる様な連綿、これを聴けた観衆の皆さんが心底羨ましいです!終演後(演目は落語へと続くけど)きっと幸せな気分に浸れたことでしょう♪ 録音残ってないかしら? ------- この間の3回のご出演分もまた改めまして纏め再構築したいと思います。 #諏訪根自子#NejikoSuwa #三越名人会
記念本 三越本店宣伝部 1983年nine_o_nine
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1976(昭和51)年 9月25日 日本橋 三越劇場 第320回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
ある意味、'70年代以降の単発ご演奏を辿るのは比較的近年に当たるにも関わらず、戦前/終戦〜'60年代極初頭の頃よりもハードルが高い様に感じます(私見ながら)。 こちらはご出演された第320回 三越名人劇場の演目・プログラム的な内容の記録があります、1984(昭和59)年発行の第400回を記念した記録本(非売品)です。 午後4時スタートの前半の狂言/小唄/落語/長唄そして30分休憩を挟んだ直後の根自子さんのヴァイオリン演奏でした・・・。 *アリオーソ *コレルの主題による変奏曲 *小品 /ユーモレスク /トロイメライ /ツィゴイネルワイゼン 戦前からのレパートリーも、熟練の域の音色は一体どの様なものだったのでしょうか? 萩谷さんの書にこの日の演奏に触れられた評論家の野口久光氏のコメントを読む事が出来ます。 「根自子さんの健在をこの目、この耳で知ったのは昭和51年の三越名人会のステージだった。根自子さんが、引退以降も研鑽を積まれ、演奏への意欲を持ち続けられてきたことは久し振りのステージが明らかに語ってくれている」 …と、短いながらも此処からは「・・・あゝあの頃とは違って全盛期をとうに過ぎた」的な感想は微塵もなく、"諏訪根自子健在なり!"を讃えられている事がその演奏のクォリティをなにより物語っているのでしょう。 そしてこの2年後(昭和53年)から「バッハ無伴奏」の録音が始まるのですね? #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会 #三越劇場
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
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アサヒグラフ 1934(昭和9)年 2月28日 第二十二巻 第九號
ツイッター(X)で見掛け、すぐに落ちてしまって出所は何処だろう?…とずっと探しておりました。 結果、昭和9年2月刊のアサヒグラフ誌、「話題の女性」というコーナーで掲載されておりました♪ もんぺお姿が大変珍しくキュートな一枚・・・ まるで躁鬱の如き書かれ様ですが、騒動の後、東京をそしていろんなしがらみから離れ平塚の海沿いの環境の開放感からでしょうか?お年頃相応のはしゃぎ様が伝わってきて大変微笑ましいです^^ 渡欧の話題はこの時点ではまだ"噂"。しかも囁かれた留学先は須くフランス・・・ 根自子さんのこの反応や、さて?・・・そして人にも恵まれ転がり出すのであります。いと興味深し…です。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #アサヒグラフ
雑誌 朝日新聞社 1934年nine_o_nine
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1950(昭和25)年10月23日 日比谷公會堂 アレクサンドル・モギレフスキー滞日25年記念 諏訪根自子謝恩演奏會プログラム
このプログラムの魅力は何と言っても、モギ先生と根自子さんを引き合わされた"世話役"的な役割を果たされた音楽評論家の野村光一氏の『モギレフスキー先生と諏訪根自子さん』と題されたその時=初對面の様子が綴られているのが何より興味深いです。 "メンデルスゾーンの協奏曲をバリバリ弾いた根自子さん" "恐らく先生は長い日本滞在の間に嘗てこれほどの素晴らしい門弟を發見されたことはなかったのではあるまいか?" "彼女の楓のような長い手を「良い手だ!良い手だ!」と握り締められ褒められた" それに牛山充氏の『日本提琴の父賛頌』も端的に纏められた紹介文が読めます。そして病床の師への謝恩演奏會であることが語られています。 翌年1月の宝塚も同様の趣旨の公演です。紹介文には野村さんのこの文面の簡略版が引用されています。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/34?theme_id=39620 表紙イラストは洋画家の石川滋彦氏のペンによる。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #アレクサンダーモギレフスキー
プログラム 1950年nine_o_nine
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1948(昭和23)年 9月28日 有楽町 日本劇場 東宝交響樂團 第9回 定期演奏會 (第2シーズン)プログラム
このプログラムは根自子さんの回のものではありませんが、この頃の東宝全盛の一連の公演がよく垣間見れますので何冊か纏めて掲載・展示させて頂きます。 この翌月(次の次)の根自子さんの11回定期演奏會の告知が掲載されております。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/266?theme_id=39620 ピアノのレオニード・クロイツァー氏。そしてモギレフスキー、ローゼンストック*、グルリット氏…いずれも1930年代から滞日、戦後まで日本の楽壇を彩られました(*後に離日)。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #東宝交響樂團 #近衛秀麿 #クロイツァー #日本劇場
プログラム 東宝音樂協會 1948年nine_o_nine
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1948(昭和23)年10月28日 有楽町 日本劇場 東宝交響樂團 第11回 定期演奏會 (第2シーズン)プログラム
東宝所属の頃=昭和23年10月の定期公演(於:日劇)のプログラムです。 近衛秀麿 指揮 東宝交響樂團・・・ 交響楽団での独奏とは別に、この頃の根自子さんのラッシュな公演日程は全国津々浦々、「音樂之友」での松田さんの記事(後に単行本化)にもあります様に、かなり大変であられた模様です。。。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/111?theme_id=39653 東宝の記録としまして、根自子さんのものではありませんが、告知掲載のものも併せこの頃のプログラムを何冊か併せ掲載させて頂きたいと思います♪ #諏訪根自子 #近衛秀麿 #東宝 #東宝交響楽団 #NejikoSuwa
プログラム 東宝音樂協會 1947年nine_o_nine
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1955(昭和30)年 6月11日 名古屋 名古屋市公会堂 独奏会 プログラム
昭和30年 6月11日 名古屋市公会堂での独奏会プログラムです。 主催は名古屋市教育委員会、名古屋市音楽協会 ヘンデル:ヴァイオリン奏鳴曲 第四番 ニ長調 プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲 第一番 ニ長調 ドビュッシー:ヴァイオリン奏鳴曲 フォーレ:子守唄 アルベニス:マラゲニア スクリャービン(シゲティ編曲):エチュード サン・サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ ピアノ伴奏は松隈陽子さん (1939年 日本音楽コンクール ピアノ部門第一位。因みにこの年のヴァイオリン部門は江藤俊哉さんでした) #諏訪根自子 #NejikoSuwa #名古屋 #松隈陽子
プログラム 1955年nine_o_nine
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トロイメライ / 西班牙舞曲('38)
Columbia 29734 『イラメイロト 』 曲作 ンマーュシ 1200217 『曲舞牙班西』 曲作アリァフ 2200218 左←右表記です。 ピアノ伴奏:ナデイーネ・ロイヒテンブルグ 1935年5月29日 録音 発売は渡欧後の'38年5月(国会図書館記録)。録音は両曲共に遡る3年前の5月29日であります。最後の録音、そしてこれが最後の発売の13枚目のオリジナルタイトルと相成ります。 同曲の揺らぎの質。見事に整合性のある師モギレフスキーのそれとは似て非なる・・・なんていうんだろう?惹かれるのはソコなのだ、と改めて感じ得る演奏だと思います。"完成された"という観点からは遠く及ばないのだが、テンポも若干ゆるやかなこの調べはどこかの琴線に触れてやみません、この15歳(録音時)から溢れるのはただただ'音楽'であり、故に心を打つのだと思う次第であります。 無論、シューマンのこのメロディ、「タイスの瞑想曲」と共に大好きな曲、演奏です♪ 私事、小学生5/6年の頃、放送部で下校の時間になると女子のアナウンスに合わせこの曲のレコード(45RPMのドーナッツ盤)を掛けました。磨りガラスの放送室に差し込む夕暮れの色の記憶、あれは誰のレコードだったんだろう? https://www.youtube.com/watch?v=F8I1yu8-_vk #諏訪根自子 #NejikoSuwa #トロイメライ #träumerei
SPレコード 日本コロンビア 1938年nine_o_nine
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1957(昭和32)年 6月16日 宇都宮 栃木会館公演 プログラム
昭和32年、栃木県国際文化協会の主催によるリサイタルのプログラムです。 前々年に落成したばかりの宇都宮市の栃木会館にて… グリーク:ソナタ第三番 ハ単調 作品45 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61 スヴェンゼン:ロマンス クライスラー:美しきローズマリー チャイコフスキー:アンダンテカンタービレ ファリャ:スペイン舞曲 第一番 イ短調 パガニーニ:無伴奏カプリース 第24番 小品は懐かしいSP盤時代のレパートリーに加え、流麗な「美しきロスマリン」「ロマンス」と堪らないタイトルが並ぶ。きっと当日の観客は酔いしれたに違いない・・・実に羨ましき。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #栃木県国際文化協会 #栃木 #宇都宮
プログラム 栃木県国際文化協会 1957年nine_o_nine
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1950(昭和25)年 6月14日 京都 同志社大学 榮光館 リサイタル 同窓会告知ハガキ
同窓会『同志社倶樂部通信 五月號』葉書 次に展示の翌月6月14日 京都 同志社大学 榮光館でのリサイタルの告知が宛名面下部に刷られている。130円也、大変興味深いアイテムです。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/82?theme_id=39620 こんなハガキ。確かにありました。…全然関係ありません且つ私事ですが、この30ン年後、自分の学生時代にもOB会や新歓、納会(体育会の部でした)なんかの案内を、体育会本部の湿式印刷機(青い)で辛い練習のあと皆でひたすら刷って宛名書きした末端一回生の頃の記憶でした^^; しかしこの宛先ご住所のあたり、よきお料理屋さんも実に多く・・・ #諏訪根自子 #NejikoSuwa #同志社女子大学 #京都
告知ハガキ 1950年nine_o_nine
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音樂之友 1952(昭和27)年 7月号 第10巻第7号
音樂之友 1952(昭和27)年 7月号 「音楽家 百面鐿」というタイトルのなんと12ページに及ぶ大特集は、 ・諏訪根自子さんの生い立ち ・諏訪根自子さんはこんな方 ・かたい蕾の花 ・諏訪根自子を語る ・諏訪根自子論 から構成されています。 評論家の牛山充氏による生い立ちからのストーリー、マネージャー末正芳子さんによる最新アメリカ/ハワイ〜国内公演の内輪話(ここからの幾つかの逸話は萩谷さんの書に掲載されている)、遡った戦前在欧時のイタリアでの朧げな記憶=ソプラノの三上孝子さんの追想。母上のたきさんの「語る」は『音樂-THE MUSIC』誌'49年 5月号に掲載されていた「根自子を育て」と傾向が似ています(…使用されたお写真も一緒)インタビュー形式・・・ 大変充実した号となっております。 その他にも、先に掲載しました同年四月十五日の日比谷公會堂でのコンサート・インプレやラジオ放送の事などが掲載されている。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/28?theme_id=39620 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #音楽之友
雑誌 音楽之友社 1952年nine_o_nine
