-
1932(昭和7)年11月9日 名古屋市公會堂 諏訪根自子提琴独奏會/名古屋交響樂團秋季演奏會 チラシ
1932(昭和7)年11月9日 名古屋市公會堂 諏訪根自子提琴独奏會・名古屋交響樂團秋季演奏會 の大変珍しいフライヤーです。 年号の記載がないので推測です。 「昭和五年十月には第三回目來朝のヂンバリストを・・・(中略)・・・三年以來はモギレフスキー氏がその教育を引き受け、愈々進境を示し、七月四日、日本青年會館に於ける樂壇へのデヴューは「樂壇」の驚異と云ふ文字を我が音樂史に・・・」 この表記(=7月4日の年号別記のない事)から、そう考える方がより自然かと思いました次第です。そのデビューの好評をの余勢を駆って組まれた一連の過度な(=リウマチを発症・悪化させたモギ先生の会・帝國音楽學校の会に向けた過酷な難曲練習(父・順次郎氏談⬇︎誌掲載))興行のひとつだったのでしょうか。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/160?theme_id=39653 更に1933(昭和8)年5月発行の『名古屋市公會堂』"使用者ノ横顔"の㌻洋楽欄に根自子さんのお名前が既にあり、更に"藝術諸學校及團体"に名古屋交響樂團の記載も確認出来ます(画像3枚目以降)事から、当初'33年と推測した年号を1932(昭和7)年と修正しました。 またこちらのお写真は'33年の「少女倶樂部」二月号にも掲載されました(最後の画像) https://muuseo.com/nine_o_nine/diaries/3 名古屋交響樂團は東京フィルハーモニー交響楽団の前身なのですね?この年('32年=東京フィルの沿革より)に「いとう呉服店(現大丸松坂屋)」少年音樂隊から改称されました。主催は松坂屋洋樂研究會と相成っております。 2部構成のプログラムも交響樂團のオープニングとラストを挟み、壮大な2,ブルッフの「ヴァイオリン協奏曲 1番ト短調作品26番」は根自子さんがソロを執られた交響樂団との共演(*これ、第3楽章まで全楽章25分程!…確かに練習大変そう、な素人印象)そして小品で構成されたソロの部と、とても魅惑のプログラムですね? レコード化された(戦後の録音も含め)ものがメインですが、未録音の明るいウェーバーの「カントリー・ダンス」なんかきっと聴衆はほっこりしたんだろうな?妄想。聴いてみたかったな… 紙質も現代のものと遜色なく、3色刷りでよきデザインだと思います。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #名古屋交響樂團 #東京フィルハーモニー交響楽団 #名古屋市公會堂 #松坂屋洋樂研究會
フライヤー 松坂屋洋樂研究會 日本:古書店さんnine_o_nine
-
1954(昭和29)年 9月29日 岡山 天満屋 葦川会館 提琴独奏会 プログラム
1954(昭和29)年 9月29日 岡山 天満屋 葦川会館(いせんかいかん)での 提琴独奏会プログラムです。 会場となった葦川会館はこの前年1953(昭和28)年、創業125周年をを迎えた岡山 天満屋(百貨店)の6階(屋上部分)に、最新の照明と優れた音響設備を備えた文化ホールとしてオープンしました。因みに柿落としはレオニード・クロイツァーのピアノ独奏会だったとの事です。 ▲『天満屋』の文化ホール「葦川会館」の緞帳。デザインは仁科会会員吉原治良氏。天満屋発行『文化催事三十年』のあとがきに「戦後、盛んになった演劇活動を文科省も県教育委員会も助長したが、岡山は地方都市の中でもチャンピオンの位置にあった」とあり、演劇活動が盛んな岡山で当ホールが重要な存在だったとわかる(画像提供/『天満屋百五十年史』) 当時、市内の公演会場は、旧岡山藩主・池田家の寄付により建設された『岡山市公会堂』以外ありませんでした。戦火で傷んだ公会堂はトタン屋根だったこともあり、新ホールは大歓迎されました。 地元の発表の場としてはもちろん、天満屋主催の「芸能友の会」や県主催の演劇教室などで利用。ジャズの夕べ、落語名人会、「文化座」や「宝塚歌劇団」など著名な劇団の公演、人形浄瑠璃や狂言などの伝統芸能など、開催内容は多彩でした。 『webタウン情報 おかやま』㌻より転載させて戴きました。 当夜の演奏曲は・・・ 1,ヴァイオリン奏鳴曲 第四番 ニ長調:ヘンデル 2,ヴァイオリン協奏曲 第一番 ニ長調 19番:プロコフィエフ 3,ヴァイオリンとピアノのための奏鳴曲:ドビュッシー 4,・揺籃歌:フォーレ ・マラゲニア:アルベニス ・練習曲:スクリアビンーシゲッティ ・序奏部と狂想的回施曲:サン・サーンス ピアノ伴奏は松隈陽子さん。 興味深い事に、Xやnoteで恐らく松隈さんの幼少の頃と思しき日記が『ヨーコの日記』として公開されており、カジュアルに綴られておりますがこれは当時の歴史的資料(日本人家族の海外生活記録)としましても大変貴重だと感じます。お身内の方が転載されているのでしょうか? 松隈さんは第8回 日本音楽コンクール(1939年)ピアノ部門で見事第一位を獲得されていらっしゃいます。根自子さんとは主にこの'54年から'55年にかけて日本各地を周られました。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #岡山天満屋 #葦川会館 #松隈陽子
プログラム 日本:古書店さん 1954年nine_o_nine
-
1981(昭和56)年 6月30日 日本橋 三越劇場 第371回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
1981(昭和56)年 6月30日 日本橋 三越劇場 第371回三越名人会での前回より1年振りとなるご出演・演奏 *ツィゴイネルワイゼン ほか (残念ながら演奏曲の詳細記載ありませんでした) ピアノ伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
-
1980(昭和55)年 5月31日 日本橋 三越劇場 第359回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
1980(昭和55)年 5月31日 第359回三越名人会での前回より半年振りとなるご出演・演奏 *前奏曲とアレグロ *月光 *マラゲニア *タイスの瞑想曲 *カプリス第24 ピアノ伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
-
1979(昭和54)年 1月28日 日本橋 三越劇場 第346回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
1976(昭和51)年 9月25日 第346回三越名人会での3年振りとなるご出演・演奏 *G線上のアリア *愛の喜び *愛の悲しみ *歌の翼に *スペイン舞曲 ピアノ伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
-
1976(昭和51)年 9月25日 日本橋 三越劇場 第320回三越名人会 記載 記念本(第400回記念(昭和59年5月)非売品)
ある意味、'70年代以降の単発ご演奏を辿るのは比較的近年に当たるにも関わらず、戦前/終戦〜'60年代極初頭の頃よりもハードルが高い様に感じます(私見ながら)。 こちらはご出演された第320回 三越名人劇場の演目・プログラム的な内容の記録があります、1984(昭和59)年発行の第400回を記念した記録本(非売品)です。 午後4時スタートの前半の狂言/小唄/落語/長唄そして30分休憩を挟んだ直後の根自子さんのヴァイオリン演奏でした・・・。 *アリオーソ *コレルの主題による変奏曲 *小品 /ユーモレスク /トロイメライ /ツィゴイネルワイゼン 戦前からのレパートリーも、熟練の域の音色は一体どの様なものだったのでしょうか? 萩谷さんの書にこの日の演奏に触れられた評論家の野口久光氏のコメントを読む事が出来ます。 「根自子さんの健在をこの目、この耳で知ったのは昭和51年の三越名人会のステージだった。根自子さんが、引退以降も研鑽を積まれ、演奏への意欲を持ち続けられてきたことは久し振りのステージが明らかに語ってくれている」 …と、短いながらも此処からは「・・・あゝあの頃とは違って全盛期をとうに過ぎた」的な感想は微塵もなく、"諏訪根自子健在なり!"を讃えられている事がその演奏のクォリティをなにより物語っているのでしょう。 そしてこの2年後(昭和53年)から「バッハ無伴奏」の録音が始まるのですね? #諏訪根自子 #NejikoSuwa #三越名人会 #三越劇場
記念本 三越本店宣伝部 日本:古書店さんnine_o_nine
-
日曜報知 第百號記念特輯 1932(昭和7)年 4月24日號
同時期の『少女倶樂部』などにも掲載された超有名な一枚です。 センセーショナルな天才美少女ヴァイオリニストを世に知らしめ、そして魅了したまさに初期の傑作ショットですね^^?(コンディションも抜群!) 報知新聞社刊の週刊誌の第百記念号のグラビアをピアニストの甲斐美和子さんと共に飾っておられます、7歳上のアメリカ生まれの甲斐さんとはご共演もありその模様はamanaimages(文藝春秋社©︎)で見る事が出来ます。 "讃へよ 春の樂壇に輝く二天才" の文字が踊る。「この天才少女の未来に輝きあれ!」と根自子さんの項は締められており、まさにそんな未来を歩み出されるキッカケとなったのがこの年=1932年でありました。 #諏訪根自子 #NejikoSuwa #甲斐美和子 #報知新聞社 #日曜報知
雑誌 報知新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
-
諏訪根自子さん写真(戦後'47〜'48頃)
初見の一枚でした。 少々お硬い、いや?藝術家らしい鋭い眼光の表情が印象的・・・美麗なるポートレート写真。 ヘアスタイル、そしてこの頃多用されました衣装から'47〜'48年頃撮影と推測します。 ・幸運の椅子('47年中撮影(近代映画誌'48年1月号㌻)・・・2枚目画像) ・新憲法施行記念祝賀會('47年 5月3日(NHKアーカイヴス映像)・・・3枚目画像) #諏訪根自子 #NejikoSuwa
写真 日本:古書店さん 1947年nine_o_nine
-
近代映画 1948(昭和23)年 1月1日 發行 1月號 第四巻第一號
映画雑誌「近代映画」昭和23年の1月號より。 東宝/日映(日本映画社)提携の『幸運の椅子』の記事が掲載されております。 "こゝに掲げたスナツプ4駒は「第四話」に出演している有名なバイオリニスト諏訪根自子さんの演奏シーンです。なかなか聞けない諏訪さんの名演奏がこの映画では充分に味えるだけでも早く観たい映画でせう。" と、映画の簡介や出演者、そして根自子さんにスポットを当て撮影シーンと共にレポートされています。これは大変貴重! この映画の記事は、東宝の音楽機関紙「シンフォニー」でも掲載されておりました。⬇︎ https://muuseo.com/nine_o_nine/items/108?theme_id=39653 動く根自子さんを拝ませて頂く事が出来る映画。ソフト化を切望します! ・ ⬇︎は知り得る限り現在ネット上唯一の根自子さんの映像です。この日本ニュースを作成していた会社が日映でありますね? https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001310070_00000&chapter=001 パガニーニ『無窮動』の超絶演奏シーン 1947(昭和22)年5月3日 明治欽定憲法から現・日本国憲法へ…その記念行事でのご演奏ですね?「諏訪根自子さんのすぐれた演奏が行われました」と… 1:53 ナレーションが入ります 2:04 会場シーンで音が入ります 2:06 ご本人の演奏シーン! 2:25 まで続きます… 奇跡の20秒!(当時最新流行のヘアスタイル/衣装が鮮烈(>~<)!) この他、もう一本戦前のものがニュースリール映像で存在します。計3種。。。他にもきっとあるに違いない! #諏訪根自子 #NejikoSuwa #映像
雑誌 近代映画社 日本:古書店さんnine_o_nine
-
諏訪根自子さん 寫眞ブロマイド(戦後'46)
以前掲載の、サイン入りブロマイドのサインなしのベーシックなものです。 セピアに灼けて往時を偲ばせます。。。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #ブロマイド
ブロマイド 日本:古書店さん 1946年nine_o_nine
-
諏訪根自子さん自署入りプログラム(戦後'53年9月15日)
実はこちらのプログラム、直筆サイン入りという事で古書店さんより購入させて頂いたのでありますが、 判別が難しい!! 普通、時計用のキズミ位の拡大鏡で一目瞭然、充分判別可なのでありますが一抹の印刷か?な微妙さもあり・・・ 筆圧は感じられず、然し端の印刷ドットは見出せず経年故の擦(かす)れインクの光沢欠落にも見える。本当に微妙! …多分6:4くらいで直筆かとは思うのですが、確信に至っておりません。 さて? ★★★★は希望的観測も込めまして^^; #諏訪根自子 #nejikosuwa #autograph #サイン
サイン 日本:古書店さん 1953年nine_o_nine
-
音樂雑誌 シンフォニー 1948(昭和23)年 2月10日 發行 第四輯
東寶の機関誌の1948(昭和23)年 2月發刊の第四輯です。 表紙は近衛秀麿氏。 グラビアページに近衛氏とのサン・サーンス提琴コンチェルトの打ち合わせ風景、また「東寶藝術家の近影」ではセンターを飾っておられます。 その他、 前年'47年の「樂団總決算」では"寶響の躍進と光る諏訪根自子"として個人では歸還後はじめて舞䑓に立つた諏訪根自子の矢つぎばやの演奏活躍はかなり派手だつた…とある。 また同前年の事業記録として五月四/五日の帝国劇場での第三回演奏會も掲載されている。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/54?theme_id=39620 同十一月十九日の日比谷公會堂での「學生のための音楽會」が開催されたことも「楽界ニュース」国内版に掲載されている。 そういった華々しい記載とは別に、 「樂団總決算」の掲載された「樂団一年を顧みて - 一九四七年の總批判」では、村田武雄氏の「ソリストの群像」欄で… "問題となるのは諏訪根自子と巌本眞理である。諏訪は歸朝時の新鮮な心境をスポイルされて、技術的に纏つても精神的纏りが亂れてしまつた。しかも冷さが禍して表現に情熱がない。高い精神力と強い情熱を失つた藝術はいかに技術的に優秀でも冷い傀儡に過ぎないのである。・・・" と、内部機関誌にも関わらず かなり痛烈な批判が為されているのが印象的で興味深いです。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #東方
雑誌 東寶音樂協會 日本:古書店さんnine_o_nine
-
セレナーデ・エスパニョール / ヴアルス・ブルエツト('35)
Columbia 28645 『ルーヨニパスエ・デーナレセ 』 曲作フノズラグ 曲編ーラスイラク 139989 1935年3月20日 録音 『トツエルブ・スルアヴ』 曲作ゴリド 2200121 1935年5月8日 録音 右→左表記です。 ピアノ伴奏:マダム・ロイヒテンブルグ 1935年12月発売 以下、投げ込み(歌詞カード)記載より・・・ 『セレナーデ・エスパニョール』 グラズノフは一八六五年 露西亞はペトログラードに生れた。彼の音樂教育は其の家が裕福であつた爲と 母親がバラキエフの弟子として洋琴に巧みであった爲、極めて惠まれたものであつた。 九歳の頃、洋琴の名手コンツキイに就き樂典、音樂史を研究しその後その才を認められて リムスキイ・コルサコフの門に入り專心作曲を修めるに至つた。この『セレナーデ・エスパニョール』は 輕い美しい小品である。玉を轉がす様なピアノのワルツ風の演奏は極めて効果が多い。 『ヴアルス・ブルエツト』 リヒアルト・ドリゴの名はこの『ヴアルス・ブルエツト』や『セレナーデ』によつて普く知れ亘つてゐる。 伊太利生れの作曲家で、ロシアの帝政時代にはペトログラードの宮廷付指揮者として三十四年間勤續した。 彼の最も得意とするのは舞踊音樂で、彼が『セレナーデ』や『ヴアルス・ブルエツト』以外に比較的世に 知られてゐないのは、宮廷深く埋もれて居た事と、彼の性質として賣名的行爲に出づる事をせず、 唯斯道にのみ專心してゐた事による。 '24 1/30 不本意だったレーベル画像差し替えました。 https://www.youtube.com/watch?v=GRvQN6EaVuc #諏訪根自子 #nejikosuwa #セレナーデエスパニョール #ヴァルスブルエット
SPレコード 日本コロンビア 日本:古書店さんnine_o_nine
-
1953(昭和28)年 9月15日 日比谷 第三回 第一生命ホール音楽鑑賞会 プログラム
1953(昭和28)年 9月15日 日比谷 第三回 第一生命ホール音楽鑑賞会 ヴァイオリン・リサイタル プログラムです。 初見の神々しく美しいお写真が表紙一面にあしらわれておりデザイン性もとても素晴らしいものと相成っております。(額装して飾りたいくらい) プログラムは・・・ *モーツァルト:ヴァイオリン奏鳴曲 第15番 変ロ長調 K.454 *ラロー:スペイン交響曲 ニ短調 作品21 -休憩- *ドビュッシー:「牧神の午後」への前奏曲 *ドビュッシー: 亜麻色の髪の乙女 前奏曲集 第1巻 第8番 *ファリア:スパニッシュダンス"歌劇「果敢な生命」より" *パッツィーニ:妖精のロンド (記載のまま) ピアノ伴奏は田中立江さん。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
プログラム 日本:古書店さん 1953年nine_o_nine
-
アサヒグラフ 1946(昭和21)年 1月 5日 第四十五巻 第一號
終戦の年、その暮れ12月6日。抑留先の米国よりジェネラル・ランデル(General George M. Randell)号(AP115)にて浦賀港に帰国。 その直後に記者が捉えた根自子さんのお写真が、翌'46年初1月5日号のアサヒグラフ誌に掲載されている。 欧州留学、その最後の何年かは正に熾烈な欧州戦線の戦火を掻い潜っての10年振りの祖国と相成られる・・・ 無下にも消毒殺虫墳の白い粉を頭部から噴霧されたのをスカーフで隠し、化粧っ気もなく…変わらずお美しいが頬は大きく痩け疲労の色は隠せない。 無遠慮な記者/カメラマンは容赦無く、質問を浴びせフラッシュを焚く…。 同誌には同じ船便で降り立ってそのまま巣鴨に連行となった大島元駐独大使の写真も、皮肉たっぷりの年初カルタとなって掲載されている。當然、自身が語っておられた通り「国をミスリードした」事実は紛れもないし、擁護する気もないがこのマスコミの掌を返した様なあからさまな扱い(根自子さんも後に別件で苦しめられる事となる‥)には、大島氏に限らず現代まで続きまったく・・・と思ってしまう。 まぁそのお写真(女性には酷な)をこうして掲載するのも同義だが・・・ 6日の日付に関せば、艦のwikiによれば「11月25日にシアトルを出港して12月10日に横浜港着」とあるので又改めましてその辺りも確認したいと思います。 【'24/8/31追記】 なんと!この浦賀港のご帰国時の映像(ニュースリール)の存在を示唆する表記がありました! 「配光の悪い数秒のニューズリールの中に」・・・で始まる一文、 「喪服のような黒い衣装の彼女が昔のままの暗い表情で右から左に切れるのを見た。それは引揚船がある日本の港についた光景であつた。それは暗鬱な曇り日だつたにちがいない。」 暗鬱なのは仕方のない事でありましょう?"昔のままの暗い…"表記は戦前にこの作曲家さんが直に会われた時の印象からのものと前後の文脈から察します。その出所もまた追って。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #帰国
雑誌 朝日新聞社 日本:古書店さんnine_o_nine
