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第20回全国中等学校優勝野球大会 記念章
第20回全国中等学校優勝野球大会 記念章(銀製) 1934年(昭和9年(皇紀2594年)) 8月13~20日 関係者・出場校に配布されたものか?
野球 1934年 高校ふくすけ
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野球塔(絵葉書)
野球塔 1934年、第20回全国中等学校優勝野球大会を記念して、大阪朝日新聞社が建設。 球場北東の松林に高さ30mの塔、20本の柱廊、直径35m・8段・2,500名収容の階段型観覧席を備え、柱には第1回大会から第20回までの優勝校・選手名ほか1枚ずつ銅製の銘板に刻まれていた。塔中部の立像は『伊達正男』がモデルである。 塔は近くに新設された鳴尾飛行場への離着陸の邪魔になると太平洋戦争中に撤去、銘板は軍に供出され、残りの列柱も空襲で崩壊、跡地も戦後、国道43号の拡張時に区画整理され無くなった。 鋳潰されなかった銘板のうち第2回・慶應義塾普通部のものが野球体育博物館に、第20回・呉港中のものが甲子園歴史館に保存されている。 その後、1958年(2006年撤去)・2010年に再建。
野球 1934年 高校ふくすけ
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アサヒスポーツ『第20回全国中等学校優勝野球大会』特別号
アサヒ・スポーツ 第20回全国中等学校優勝野球大会 1934年(昭和9年) 8月13~20日 1回戦 鳥取一中 3-1 京都商(沢村投手) 決勝戦 呉港中 2-0 熊本工 主な出場選手 藤村富美男(呉港中-阪神)優勝投手 川上哲治(熊本工-巨人)右翼 吉原正喜(熊本工-巨人)捕手 沢村栄治(京都商-巨人)投手 12奪三振 この年、退学し11月に開催された読売新聞社主催の日米野球の全日本チームに参加
野球 1934年 高校ふくすけ
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全国高等学校野球選手権大会 朝日新聞社主催旗
全国高等学校野球選手権大会(朝日新聞社主催) 1915年(第1回)-全国中等学校優勝野球大会(豊中球場)開催 1924年(第10回)-阪神甲子園球場に変更。 1927年(第13回大会)-ラジオ実況中継始まる。 1941年(第27回)-太平洋戦争の影響で地方大会の途中で中止。 1946年(第28回)-大会を再開。米施政下にある沖縄は地方大会に参加できず。 1952年(第34回)-米施政下にある沖縄県が、東九州大会に参加なる。 1953年(第35回大会)-NHKがテレビ中継開始。 1958年(第40回)-全国の代表47校で開催される。沖縄県(首里高校)は初めての本大会出場であったが米施政下のため渡航証明書(パスポート)を所持しての参加。 2018年(第100回)-延長戦13回からタイブレーク制度が適用。入場者数が初めて100万人を超え、大阪桐蔭が史上初の2度目の春夏連覇。 (本大会、地方大会で使用されたかは不明)
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