- Sekisentei Japanese Mineral Museum
- 46F 鉱山絵葉書 Mining Postcards
- 日立鉱山 電錬所/茨城県日立市 #PC013-06
日立鉱山 電錬所/茨城県日立市 #PC013-06
「日立鉱山絵葉書」8枚組セット中の「日立鉱山電錬所」です。日立鉱山では1911年(明治44年)に現在の茨城県北茨城市中郷町に水力発電所「石岡第一発電所」を建設し、同年にその電力を利用して電解精錬を行う芝内電錬所を設けました。「日立市の歴史点描」というWebサイトに、この電錬所を紹介した1912年(明治45年)当時の『中外商業新報』(現在の日本経済新聞)の記事が掲載されていましたので、その一部を転記の上、現代語訳を付けてみました。
「電氣分銅所は助川驛と事務所間の中點にあつて全部コンクリートに依て築かれた荘厳なる建物である、闥を排し手入れば先づ電流發動機の大設置に一驚を喫する、ト見る長さ二百七十尺横五十八尺の一室に二百餘個の電槽が底深く築かれて無数の銅板が今や分解に附せられている、鐵橋の如きクレーンは中空を自由自在に横行する、電解液は絶えず流動していて槽底には金銀が泥色を呈して沈澱する、分解に附すれば純銅は九九、八となる、四百キロの機械二臺で一ヶ月百萬斤を摂取し得るといふ」
(現代語訳)「電気分銅所は助川駅と事務所の間のちょうど中間地点に位置し、全てコンクリートで建てられた荘厳な建物です。門をくぐって内部に入ると、まず電流発動機の大規模な設置に驚かされます。さらに目を向けると、長さ約82メートル、幅約18メートルの一室の中に200個以上の電解槽が深く設置されており、数え切れないほどの銅板が今まさに分解されている様子が見られます。鉄橋のようなクレーンは、空中を自由自在に移動しています。電解液は常に流動し、電解槽の底では金や銀が泥状になって沈殿しています。分解が行われると、銅の純度は99.8%に達します。400キログラムの機械2台によって、1ヶ月で約500トンの銅を得ることができると云われています。」
日立鉱山は元は赤沢銅山と呼ばれていた小鉱山でしたが、1905年(明治38年)に久原房之助が日立鉱山と改名し本格的な開発を開始して以降大きく発展しました。1905年(明治38年)から1981年(昭和56年)に閉山されるまでの76年間に約3,000万トンの粗鉱を採掘、約44万トンの銅を産出し、足尾銅山(栃木県)、別子銅山(愛媛県)と並び日本三大銅山の一つに数えられています。
